Women's Sexual Healthについて書くブログ

昼間は医療機器メーカーの会社員が女性のセクシャルヘルスとラブライフ、台湾・日本国際結婚と妊娠・出産について書きます

【妊娠出産記①】1度目の妊娠

昨年11月末に出産した娘が先日、3ヶ月を迎えました。

ずいぶん時間が経ったような気もするし、あっという間だったような気もします。

3ヶ月からはずいぶん楽になるよ!と先輩ママから聞いて心待ちにしていた3ヶ月。

その通り、3時間ごとの授乳の日々から、2ヶ月の終わり頃からは次第に夜中はまとまって寝るようになり、夜は自分の時間が取れるようになって来ました(涙)

 

まずは妊娠出産の記録として、2年半前のことから書き始めたいと思います。

 

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期せずして1度目の妊娠が分かったのは、結婚式が終わってふっと一息ついた1週間ほどあとの2014年9月末だった。

年齢もその当時35歳、子どもは早く欲しいと思っていましたが、こんなにすぐ叶っちゃっていいの?とまずは驚いた。

クリニックの初診で「おめでとうございます」と言われた時も、自分のことでないような不思議な感じ。

診察の帰り道に電話で夫と両親に報告したところ、とても喜んでくれ、いまお腹の中にいるのかあ〜、と不思議な、ふわふわした気持ちでそれからの日々を過ごした。

2度目の診察で、先生から「まだ心拍は見えていないけれど、次回の診察では見える頃だから」と、次は出産を希望する病院へ行くよう促され、紹介状を渡された。そして出産予定の病院に、電話で1週間後の初診予約を取ったのだった。

 

そしてそれから1週間後、仕事は半休を取って向かった総合病院の産婦人科

待合室でかなり待ったのちにようやく呼ばれ、まずは見てみましょう、ということで内診台へ。経膣超音波エコーのモニターに何か黒いモヤモヤした画像が映し出されている。すると先生の顔が曇ったことが分かる。「心拍は見えていませんね。まずは着替えて、診察室でお話しします」とのこと。その後告げられたのは、もしかしたらこれは流産する胎芽を見ている可能性が高い、ということだった。

1週間後にもう一度見てから確定診断にするとのことで、また来週来てくださいと言われる。

嬉しい気持ちが一転、それからは長い1週間を過ごした。
お腹の中の、あの超音波画像で見えたちっちゃな黒い丸のお豆ちゃんは、もう生きていないのか、、もう“いのち”ではないのか、、、

大事を取った方がいいのか、無理をしていいのか?でも無理することイコールもしかしたらまだ生きている可能性もある“小さな黒いお豆ちゃん”の命を諦めることではないのか。。

そんな良くわからない長い長い日々を過ごした後 、1週間後に心拍がないことが再度確認され、稽留流産との確定診断となった。
手術をするか、自然な排出を待つか、どちらかを選べるとのことで、自然流産を選び待つことに。

 

もちろん残念で多少落ち込みはしたのだが、1度の流産は全妊娠の約2割と言われており、実はよくあることだそうなので、そういうことも起きてしまうのだろう、次を頑張ればいい!と思えた。心拍を見ていなかったので、「いのち」を実感する前だった分、喪失感のようなものもそこまで大きくはなかったのだと思う。


それから数週間。
11月中旬、仕事の同僚と外でランチにタイ料理を食べていたときに、次第に何やら激しくなる腹痛。トイレに駆け込むと、大量の出血で床を血の海にしてしまう。一人でなんとか掃除をして、同僚と一緒に会社に戻る。

当時の上司に、(もちろん妊娠のことは告げていないので)体調が悪いので病院に行くため早退する旨告げたところ、「今期の査定評価を今日中にやってしまわないといけないから、10分付き合って」と言われる。(・д・)チッ

本当の理由を言ってないので、まあ10分くらいなら耐えられるか〜、タイミング悪いなほんと!と思いつつ、ハイハイ言いながら、上の空で今期のボーナスにつながる査定の話をひたすら受け流した十数分。。

あまり意味のない査定の時間を終えると、痛みをこらえてタクシーで病院へ向かう。

処置室に入り、排出の具合を診察してもらい、子宮収縮の薬をもらって自宅に帰ったのだった。

 

ひとつわかったこと。

妊娠したということは、初期には最小限の人にしか言うべきでない!(当たり前すぎ)

親しい同僚2人に話していたので、余計な気を使わせてしまった。そして一番は両親、そして義父に心配をかけてしまった。

 

ここからまた、いつもの日常が始まったのだった。